札幌光星中学校・札幌光星高等学校

校長メッセージ

自ら社会を照らす「光」となり 平和で豊かな未来を創るリーダーを育成

校長 駒井 健一郎

 情報化やグローバル化などの社会の大きな変革の中で、突如として発生した新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる世界規模での危機、ウクライナの悲劇で露わとなったナショナリズムの正当性を根拠とする地域紛争や民族紛争から、われわれは多くの教訓を学び取らなければなりません。この先のベクトルは、世界が連帯し、持続可能な社会を作ることに向かわなければなりませんし、わが国もその一員としての役割を果たさなければならない時代を迎えています。
 コロナ禍に翻弄され続けた想像を絶するこの3年間を振り返った際、「心の目」でしっかりと観察し、勇気をもって判断しなければならないことがたくさんありました。私たちは、目に見えるものこそがすべてだと考えてしまいがちですが、喜怒哀楽や悩み事は、目に見えないものの中から生まれ、「心の目」を開いていないと大切なものを見過ごしてしまいます。肝心なこと、一番大切なことは、「心の目」でなければ見えないものです。この先、「コロナ世代」という言葉が生まれるかどうかわかりませんが、もし、そういった言葉が流布した時には、ポジティブなイメージの言葉であってほしいと願います。多感な思春期をコロナと共に過ごした10代の若者が、物事の多くを「心の目」で見ることができる、思慮深く、温かく、自らを差し出すことを惜しまない、「人」と「真心」に根ざした未来を築く、そんな世代の総称であってほしいと願います。
 創立から90年近くが経とうとしている本校が、カトリックミッションスクールとして大切に伝えてきた「他者のために自らを尽くすことができる人材の育成」という教育方針は、「心の目」を開くことへの自己との対峙の追及であり、不透明な未来をたくましく生きるための大きな力になるはずです。
 本校での学びを通し、見えないもの、見えにくいもの、急に見えてくるもの、未知なるものを「心の目」で観察し、それらに勇気をもって挑戦し、世界中が笑顔であふれる、無条件に平和な、そしてすべての被造物への尊厳にあふれる持続可能な未来を築くための一員として、大きく貢献する人物へと成長することを願います。

10月全校集会  2023年10月17日

 みなさん、おはようございます。
 夏休み明けの猛暑がなつかしく思えるほど、日ごとに秋が深まり、登下校の際には肌寒くなってきました。5年生のみなさんは、3週間後に修学旅行を控えています。6年生のみなさんは、総合型選抜や推薦入試で受験が始まりつつありますし、一般入学試験に臨むみなさんも、これまで以上に学習の量と質を上げていく時期になりました。また、中学生のみなさんは来月の芸術文化発表会へ向け、クラス合唱の練習が入ってきます。風邪など引かぬよう、コートを着るなどの防寒対策をしっかりと取り、体調管理には十分気をつけましょう。
 さて、今日はみなさんと数学の勉強をしたいと思います。
 では第1問。「2X+8=20」の答えは?もちろん「X=6」ですね。ところが、小学6年生のマミコさんとキョウスケ君に解いてもらったところ、このような途中式を経て、マミコさんは「X=5」、キョウスケ君は「X=10」と解答しました。そこで、みなさんに質問です。マミコさんとキョウスケ君は、どうしてこのような間違いをしたと思いますか。そして、数学的には、どちらの方がより正解に近い考え方をしたと思いますか。
 続いて第2問。「ケンちゃんは、8個のリンゴを持っていました。ケンちゃんの母は48個のリンゴを持ってリンゴ園から戻り、その全部をケンちゃんに渡しました。ケンちゃんは今何個のリンゴを持っているでしょうか?」答えはもちろん56個です。ところが小学2年生のマミコさんとキョウスケ君は、学校で習ったばかりの縦計算を使って、このように解き、マミコさんの解答は128、キョウスケ君の解答は40でした。さあ、みなさんに質問です。マミコさんとキョウスケ君は、どうしてこのような間違いをしたと思いますか。そして、数学的には、どちらの方がより正解に近い考え方をしたと思いますか。
 さて、2つの問題について自分の考えと隣の人の考えを聞き、どちらの方が数学的には正解に近い考え方であったか自信をもって判断できましたか。もちろん、この問題に正解はありません。実はこの問題は、間違った人の立場になって物事を考えられるかというトレーニングなのです。今回の数学の問題でいえば、間違う人の立場から数学力を上げていくためのサポートの仕方について、より的確な方法を考えるための作業ともいえます。このような作業をクリティカルシンキングといいます。クリティカルシンキングのことを日本語で「批判的思考」と訳すこともあります。「批判的」と言われると何か否定的なイメージを彷彿させるかもしれませんが、そうではなく、ある考えについて前提となる事実を明らかにしながら多角的・論理的に考える思考法を意味します。今回の例でいえば、「計算間違いをしている」という表面的な事象から、クリティカルシンキングすること、つまり「どうしてこんな間違いをしたのか」「単純な計算ミスなのか、それとも計算法を知らないのか、そもそも問題を聞き間違えた(見間違えた)だけなのか、あるいはそれ以外の理由があるのではないか」といった問いを重ねていくことで、物事の本質に近づけていく作業なのです。また、クリティカルシンキングは、事実をベースに論理を展開していくため、関係者の先入観をできる限り排除し、誤った意思決定がされにくくなるというメリットもあります。例えば今回のケースであれば、本当は計算法を十分に理解していないのに「あの子は、おっちょこちょいで、きっと問題を見間違えたのだから、まずしっかりと問題を見るように注意しよう」といったサポートの間違いを防ぐことができる可能性があがるということです。
 今日の話は、アメリカの法教育推進活動家、弁護士、元高校数学教師のコリン・シールさんの最新著書である「法教育の教え方と学び方 クリティカルシンキングのすすめ」からの紹介でした。法教育の指導的立場から、法的なものの見方を身に着けることやクリティカルシンキングを磨くことで、自らの権利を守ったり、争いごとを法に則って解決したり、交渉を通じて平和裡にウィン・ウィンの解決をする力を高めることができると述べています。また、最近の情報デジタル分野の大きな話題として生成AIやChatGPTのことをよく耳にしますが、これらの技術の登場により、多くの職業がAIによって変革され、大量の失業者が発生するのではといったことを危惧する声も高まっています。このような将来の心配への防衛策として、プログラミングに強い人物が生き残るとか、ハイテク教育を受けた方がいいとか、数学や理科で高い能力のあるものだけが勝ち残るとか、理系や情報系を重視する考え方が影響力を高めているということは、実は根本解決には至っていないのではないか。なぜならChatGPTの開発が進めば進むほど、その処理能力が人間の限界を遥かに超えるレベルに達するのであり、結局はごく少数の優秀な理系の技術者で済むことになるためです。つまり本当に生き残ることができるのは、問題発見者や問題解決者だということ。仮にAIに仕事を奪われるならば、AIが対応できない別の仕事を見つけだすこと。何かがダメならもう終わりというのではなく、あれがダメならこれはどうかという、クリティカルシンキング能力の高いものが生き残り、そういった部分を鍛える学習、例えばディベートのような学習が若者には求められているのだと結論付けています。
 先ほどの数学の問題でも話しましたが、クリティカルシンキングとは、目の前の事実がなぜ起こったのかを可能な限り多面的に考える作業です。相手の気持ちや立場に立って、なぜそのような事実がそこに横たわっているかを洞察する力のことです。それは「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい」という聖書の教えに通じます。最後に生き残るのは、人が人を思う心であり、それこそがAIの進化によっても奪われることのないエリアで生き続けるということではないでしょうか。
 実は、今日紹介した「法教育の教え方と学び方 クリティカルシンキングのすすめ」という本は、みなさんの先輩でステラコースⅠ期生の方からプレゼントされたものです。この方はこの本の日本語訳に参加したメンバーの一人で、ぜひ後輩たちに紹介してほしいとのことでした。図書室におきましたので、興味のある方はぜひ読んでください。ちなみに現在この方は、首都圏の大学の大学院で情報コミュニケーション研究科博士後期課程に在籍し、経営学部助手として活動しています。みなさんは、いろいろな分野で多くの先輩が活躍していることを誇りとし、高い志をもってますます精進してください。

一学期終業式  2023年9月27日

 今日で一学期が終わります。高校生は昨日今日の2日間、全学年対抗のスポーツデイでいい汗を流しました。光星祭で作ったクラスシャツに袖を通し、一致団結した行事になったのではないでしょうか。4年ぶりに学年の垣根を越えてのスポーツによる交流を通し、あらためて札幌光星高校のスケールの大きさを感じ取ることができたのではないでしょうか。そして6年生にとっては、これが最後のクラス行事になりましたが、この仲間とともに、この先もしっかりと目標とする進路実現のために戦い抜きましょう。5年生は、高校生活最大の行事である修学旅行が近づいてきます。この先は、体調管理にも十分注意しながら、今回のスポーツデイの盛り上がりを上手く活用し、各クラス、各グループでの準備に弾みをつけてほしいです。中学生は、昨日の炊事遠足、そして今日は学年ごとに校外学習や大学についての学びを行いました。11月には4年ぶりの芸術文化発表会でクラス合唱コンクールも行われます。クラスの団結力を高め、お互いが成長を実感できる場にしてほしいと思います。
 一人ひとりがこの半年間を振り返り、学習面ではどの教科においても二学期の課題を設定し、手を抜くことなく来週からの授業に臨んでください。学習面以外でも、それぞれに達成できたことや、これから諦めずに取り組んでいかなければならないことがあるはずです。1年生と4年生にとっては、入学式から今日まで札幌光星での新生活の中でたくさんのチャレンジをしてきたことでしょう。明日からの4日間の秋休みには、どこかで静かに自分自身のことを振り返る時間を持ち、気持ちを新たにし、二学期をスタートさせてください。また、この秋休みから10月にかけ、新人大会を控えている部も多いと思います。6年生から学んだことを胸に刻みながら、また夏以降、新チームとして取り組んできたことがしっかりと発揮できるよう、そして、どの試合においても仲間を信頼し、自分を信じ、ベストを尽くして戦ってください。心から応援しています。
 今日は、われわれの仲間が先ほどの聖書の教えに適うような行動を実践してくれた話をいくつか紹介します。
 一つ目は、夏休み明けの先月18日に、札幌に住むある女性から電話をいただいた話です。
 
 昨日、札幌に戻るため11:08帯広発のJRに乗るために改札口を通ったところ、ジャージ姿の3人組の高校生が私の重たい荷物を見て「運びましょうか」と声を掛けてくれ、乗車する特急列車まで運んでくれました。札幌について下車しようとしたら、今度は何も言わずに荷物をホームまで運んでくれました。こんなご時世にこのような子たちがいるのかと感動し、どこの学校かと聞いてみたら札幌光星高校と答えてくれました。とても良い生徒を育てていますね。うれしさのあまり思わず連絡をさせていただきました。みなさんによろしくお伝えください。

 今年の夏は記録的な猛暑でしたから、この女性にとって重い荷物を運んでもらえたことは、まさしく救われるような思いだったにちがいありません。心地良い行いをありがとう。
 二つ目は、9月上旬に札幌駅地下歩行空間で人命救助に関わった報告です。

 今日2時半頃、チカホを歩いた時に近くにいた男性がいきなり吐血して痙攣して倒れてしまいました。周りの人たちはびっくりした様子で、やばいやばいみたいな感じになっている中、僕はたまたま保健の授業で習ったばかりの人命救助の方法を思い出し、肩を叩き、反応確認後すぐ119番をし、大人の方にAEDをもってくるようお願いをしました。その後すぐに呼吸していないことを確認し、「早く・強く・絶え間なく」の心臓マッサージを施しました。1分やったところで呼吸確認をし、呼吸していなかったのでまた「早く・強く・絶え間なく」の心臓マッサージを行ったところ、30秒後くらいに「うっ」ってなって意識回復しました。その後すぐ安全体位の体勢にしていたところ、看護師の方が来てくれました。その後は、看護師さんの指示に従い、救急の到着を待ちました。救急隊到着後は第1通報者が自分であることを伝え、駆け付けた看護師の方と共に状況を説明し、無事搬送されるのを見送りました。今回、このような行動をとることができたのは、先生からたくさん授業中に大切なことを教えていただいたおかげです。プラス、医療ドラマや映画から知識をたくさん得ていたことと、興味があって以前に調べていたことも役に立ちました。「早く・強く・絶え間なく」を何度も確認することや、人形を使って実習をしてくれたおかげです。先生の授業のおかげで人の命を救うことに協力できました。本当にありがとうございました。

 人命救助に関わった人は、彼を含めてわずか3人だったそうで、その他の人は、足早に通り過ぎ、中には興味本位にスマホで写真撮影していた人もいたとのことです。勇気をもって出来る限りの行動をとることができたことに心からの敬意を送ります。ありがとう。
 三つめは、先週4日間、多くのみなさんがモロッコ大地震とリビア大洪水で苦しむ方々のための緊急支援募金に協力してくれました。ニュースで知らされる危機的な状況に緊急での支援の必要性を感じ、募金活動を提案し、毎朝、生徒玄関で大きな声で協力を呼び掛けてくれたカトリック研究部と生徒会執行部のみなさん、そして、その声掛けに応えてくれた多くのみなさん、本当にありがとう。みなさんの善意の総額は211,720円にもなりました。早速、日本赤十字社に送金し、一刻も早い支援が必要な方々に確実に届き、役立つよう、心から願いましょう。
 最後に、もう一つ、みなさんの立派な行いを紹介しましょう。それは、先週行われた地震を想定しての避難訓練の様子です。人員確認の最中、メインアリーナには送風機の低い音だけが響いていました。1300名を越える生徒が、あれほど整然とメインアリーナに移動し、集合したことは、決して当たり前のことではありません。私たち札幌光星の生徒一人ひとりの質の高さ、相手を思いやり、自分が今何をすべきかを冷静に判断し、行動できる素晴らしさを、誇りにしたいと思います。
 人として大切なこととは何なのか。「地の塩 世の光」に適う人物へと成長するとは、どういうことなのか。今のみなさんには、そのために必要なものをよく意識した生活ができていると強く感じます。これからも「善い行い」を堂々と貫き、正義に生きることを大切に、本校で多くの学びを積み重ねていってほしいと願います。
 さて、多くの学びという点で、もう一つみなさんに紹介したいことがあります。すでに学園HPでも紹介していますが、本校は来月から上智大学と高大連携協定を結ぶことになりました。この連携はイエズス会を経営母体とする上智大学とマリア会を経営母体とする本校が、カトリック精神に基づく教育の充実と社会貢献という共通理念をさらに深化させることを目指すものです。東京の中心、皇居近くの四谷地区に全学部が集合する上智大学は、文理融合型の学び、上場企業の本社に囲まれた立地条件を活かしたインターンシップ活動、さらに1500名以上の世界各地からの留学生と1000名を超す日本からの留学とに象徴されるグローバル教育の実践など、「質の高い学び」の機会を数多く提供してくれる大学です。今回の連携プログラムの一つとして、上智大学の学生との探究的な学びやボランティアを協働する東南アジアへのスタディツアーを来年度に実施するよう準備しています。また、これまでもカトリック高等学校対象特別入学試験を活用し、上智大学へ進学する生徒が毎年5名程度おりました。この度の連携を通し、より多くの生徒が上智大学の「多彩な学び」に触れることで、その魅力を知り、またそれ以外の大学についても関心をもち、学びの特徴について探求するきっかけとし、結果としてみなさん一人ひとりにとって相応しい進路を切り開く一助となることを期待します。

夏休み明けの全校集会 2023年8月18日

 およそ1か月ぶりにみなさんがそろって登校してきました。夏休み中、学校にはみなさんからの急を要する連絡も特になく、それぞれに有意義な夏休みを過ごしたことでしょう。今年は、36年ぶりに北海道で開催されたインターハイに多くのみなさんが協力してくれました。テニス部の小坂さんとフェンシング部の阿部君が、それぞれの競技の開会式で全国の選手を代表し、立派な選手宣誓を行いました。私は、北海道高等学校体育連盟フェンシング部長として、室蘭での大会に出向きましたが、最終日の閉会式後にフェンシング部のみなさんが最後の最後まで会場の後片付けを行い、全国の専門部の先生方からたくさんのお褒めのお言葉をいただきました。テニス、バスケットボール、バトミントン、卓球、柔道、陸上の各競技でも本校生徒が裏方としてインターハイをサポートしました。全国大会が各地区予選を勝ち上がってきた選手による最高の決戦の舞台として成立するためには、多くの方のサポートが必要です。その役割を立派に果たした本校生徒のみなさんに心から敬意を表します。
 インターハイ以外では、中学1,2年生のサマースクールも印象に残っています。今年から会場を十勝に移し、新しいプログラムに挑戦しました。連日35度に迫る厳しい暑さの中、みなさんの真剣な参加姿勢が、お世話をしてくださった新得町や鹿追町の方々によく伝わり、感謝と感動の連続でした。感動といえば、8月3日に行われたクラシックギター部の定期演奏会も素晴らしい夏の思い出です。30名以上のギターだけの合奏は、他校では見ることのできない本校の貴重な財産であると感じました。また感謝といえば、北海道ではこれまでにないほどの猛暑の中、ボランティア活動に参加してくれたみなさんのおかげで、それぞれのイベントに参加した子供たちに素晴らしい夏休みの思い出を残すことができました。ボランティアの代表から「今時の高校生がここまで自ら動いてくれるのかと心底驚きました。スタッフの我々まで元気をもらい、素敵な夏の思い出ができました。来年もぜひ、お手伝いをお願いします」と深く感謝されました。
 そして6年生のみなさんは、毎日、本当に暑い中を講習に参加し、自分の限界を超える夏を送っていました。この夏に蓄えた体力は半年後に効いてきます。自信をもって、第一志望にチャレンジしてください。
 さて、毎年、夏休み明けの集会では戦争に関する話をしています。戦後78年が経ち、日本では実際に戦争を体験し、記憶している方は85歳以上の高齢者に限られています。しかし、だからと言って戦争のことを風化させていい理由はどこにもありません。もう、1年半も続くウクライナでの悲劇を考えても、唯一の被爆国である日本には、戦争の恐ろしさを世界中に伝える使命があると私は考えます。
 今日は、カトリック長崎大司教区の高見三明大司教について紹介します。高見大司教は、江戸から明治初期にわたるキリスト教の禁教下に信仰を守った「潜伏キリシタン」の子孫であり、また、長崎の原爆投下の際には爆心地から約4キロ付近にいた母親の胎内で被爆し、祖母や叔母は被爆死しています。戦後十数年がたった頃には、高校2年生のいとこが白血病を発症し、見舞いに行ったが言葉も発することなく、数日後に亡くなるなど、原爆の恐ろしさと常に背中合わせの人生を送ってこられました。そのような経歴の高見大司教が、以前、パーソナリティをしていたラジオ番組「心のともしび」の中で、「平和」についてこのように語っておられます。

 わたしたちは、「平和」について考える時、まず「平和」とは戦争のない状態のことだと考えます。それは確かに正しい答えです。今なお世界中で戦争と紛争が起こっており、兵士だけでなく、多くの一般市民、とくに子供、女性、障がい者、高齢者が犠牲になっています。残された人々も、肉親や親類や友人とのきずなを引き裂かれ、心に大きな深い傷を負っています。彼らの平和はぼろぼろの状態だと言えるでしょう。しかし、平和は戦争のない状態だけでしょうか。暴力や殺人などの平和を乱す行いは、私たちの日常生活の中でも見られるのです。ですから、平和は、一人ひとりの人間の心の平和、そして人と人との平和な関係にこそあると言わなければなりません。この平和の関係は、互いに相手を人間として尊敬かつ信頼し、自由な心で正しく行い、真実を語り、自分と同じように相手を愛することによって作られます。それは暴力や武器によっては決して作られず、むしろ破壊されます。後は暴力の悪循環が生まれるだけです。武力による抑制も平和の条件ではなく、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則を守るべきなのです。このような基本的で重要なことをすべての人がよく知り、知るだけでなく平和を愛し、好む精神を身につける必要があります。そのため子どもも大人も、すべての人が絶えず平和について教育を受け、学ぶことが大切です。

 6年生のみなさんは、昨年の修学旅行で平和ミサを行った浦上天主堂のことを憶えていると思います。浦上天主堂は、「浦上四番崩れ」という明治初期の最後のキリスト教迫害のため、拷問の上の殉教や長崎からの強制移住を強いられ、わずかな土地も奪われ、無一文になって再度浦上に戻ってきた信者たちが、わずかのお金と勤労奉仕を積み重ね、30年かけてようやく完成させた教会でした。それが20年後、その規模と美しさで東洋一とうたわれた堅牢な浦上天主堂が、原爆投下により一瞬にして破壊されてしまったのです。しかも12,450名信者のうち一瞬にして約8,500名の命が奪われ、あまりの悲惨さに神の存在を疑う信者たちも出たほどです。それでも生き残った信者たちは、少しずつ立ち上がろうと懸命に努力し、24メートルの高さの塔から落ちても無傷のままだった鐘(実はこの鐘は1922年にマリア会から寄贈されたもので、フランス製、最大直径1m、高さ85cm、重さ610kgの立派な鐘)を信者たちが瓦礫の中から掘り起こし、杉丸太の三脚に吊り下げ、クリスマスイブの夕方6時に鳴らしました。戦争中鳴らすことが禁じられていた鐘が浦上の丘から響き渡り、平和を告げたのです。被爆した信者たちは、アンジェラスの鐘を聞きながら、キリストが人類を救うために人となり、この世に来てくださったことに思いを馳せて祈り、キリストへの信仰から生きる希望と力を汲み取ったのです。そしてその鐘の音は、今日も浦上の街に鳴り響いています。
 高見大司教は、「心のともしび」の中で、こうも語られています。

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、1981年2月25日に広島平和公園でなさった「平和アピール」の中で、3度にわたって「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」と強調されました。この場合の過去は、世界規模の戦争、特に広島と長崎に原爆が落とされたことをさしています。つまり、「過去を振り返ること」は戦争のおろかさや原爆の悲惨さを単に思い起こすだけではなく、直接的、間接的にもかかわったすべての人は深く反省し、そのような悪を二度と繰り返さないという「責任を担うこと」につながらなければならないということです。たとえば、被爆した方々は、一般に、あまりにも辛い思いをしたために自分の体験を話したくないという気持ちを持っています。しかし、幸いにも、将来の平和のために生きている間に話すべきだと思い直して、話し続けておられる方々が沢山おられます。わたしたちは、皆社会の一員であり、過去ともつながっているわけですから、将来に対しても責任を担うべきではないでしょうか。

 戦争とは、浦上天主堂をはじめとした多くの建物を、そして多くの方々の人生を二度と取り戻すことができない状況にまで破壊し尽くす行為です。何ら責任がないにもかかわらず、地獄のように辛く苦しく、悲しい生涯を送ることになってしまった多くの方々のためにも、戦争を知らない私たちが、二度と戦争を起こさず、平和を守り抜くことを改めて決意したいと思います。

夏休み前の全校集会 2023年7月21日

 2週間前、みなさんのエネルギーが結集し、大成功だった光星祭。今年のテーマ「吠えろ青春 わっしょい わっしょい」の通り、コロナ前の様々な状況から解放された光星祭、その大きな大切なものを、全員が心を一つにして担ぐことができました。それから2週間、まだまだ油断ならないコロナの影響で、残念ながら登校できなくなった生徒も出てしまいました。体調を崩した方には心からお見舞い申し上げます。しかし学校全体の閉鎖という事態は回避し、無事に野球部の全校応援も行われました。昨日、学校に一般市民の方からこのようなFAXが送られてきました。
 
 札幌光星中学・高校生の皆様。突然のFAXで失礼します。昨日、円山球場で行われた野球を見て言いたいことがありFAXいたしました。東京出身で何処の学校の応援ということなく高校野球を見ていました。三塁側スタンドから見ていて、巨大勢力の駒澤苫小牧高校に向かっていく球児はもちろんのこと、生徒のみなさんの息のあった応援・マナーに非常に感動・感銘をうけました。3年生の夏の公式戦は終わりましたが、秋に行われる明治神宮大会に向け、1・2年生に期待し、今後応援したいと思います。感動をありがとう。

 この方のFAXの通り、今回の全校応援3試合で、光星ファミリーの結束力や、活気に満ちた学校の雰囲気を学校関係者以外にも大いにアピールすることができました。そしてあっという間に明日からの夏休みを迎えることになりました。みなさんの協力に、心から感謝します。ありがとうございました。
 今年の夏休みは36年ぶりに北海道で高校総体が開催され、光星からはテニス部男女とフェンシング部が出場します。また高校総体以外の競技でも、馬術部、ゴルフ部、囲碁将棋部、ディベート同好会が全国大会に出場します。中学校のサークルからはディベートとテニス男子団体が全国大会に出場します。どうぞ暑さに負けず、ベストを尽くし、勝ち負け以上に大切な何かのために勇敢に戦ってきてください。
 6年生のみなさんは、来春を見据え、しっかりとギアチェンジする夏になります。どうぞ自分の限界を越えられる夏にしてください。こちらも受験勉強を通し、単に合格不合格で終わらない何かを学ぶ経験を積んでほしいです。「大学がゴールではない」というメッセージの通り、目標がその先にあるというイメージをしっかり持ち、自分の人生を自分がマネジメントすることを喜びとする人になってほしいです。
 6年生以外のみなさんにとっても同じことです。目の前にあること、目の前で起こっていること、そのことのみですべてを判断するのではなく、その周辺にも目配せをし、さらにそのことと自分との関わりを意識すること。自分がどう振舞うことが求められているのかを探求することを習慣化してほしいのです。難しい言い方をしたかもしれません。このことをわかりやすい例で伝えるとすれば、宿題が出ているから出た分だけ勉強するのか。あるいは、宿題が出されている意味を考え、自分に必要な学習やそのために必要な時間をマネジメントするのか、その違いなのです。

 話は変わります。昨年も同じ話をしましたが、教皇フランシスコは、3年前から7月の第四日曜日を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定め、「神様は、いつも年老いた方々を孤独なままにすることを望まず、社会の隅に追いやらないようにすることを望み、若者が年老いた方々の心を喜びで満たし、年老いた方々の経験から知恵をくみ上げてほしいと望んでおられる」と語っています。
 教皇フランシスコは、第3回となる今年のテーマを、ルカによる福音書の第1章50節から引用し、「そのあわれみは代々に限りなく」としています。
 この聖書の箇所を簡単に説明します。

 13歳から16歳の乙女であったとされる聖母マリアがイエス様を身ごもったことを天使から告げられた時、同時に天使から不妊の女と言われ、相当の高齢に達するまで妊娠をしなかった叔母さんのエリザベトが、同じように天使のお告げで、男の子を身ごもっているということ伝えられました。このお告げの直後に聖母マリアは、100km以上も離れた町に住むエリサベトを訪ねます。聖母マリアが訪れた際、エリザベトは「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」。とお答えになったのです。男性を知らない女性が身ごもるという不思議な出来事を天使から告げられた聖母マリアが、その確証を得るためだったのでしょうか、年老いた叔母さんを数日かけて歩き訪ね、そこでエリザベトの言葉に神からの使命を強烈に感じ取ったというシーンなのです。

 今年のテーマについて教皇フランシスコは、こうも語っています。
 「神様は若者に、年を重ねた人たちとかかわることで彼らの記憶を大事に守りなさいとの呼びかけを受け入れるよう、そして高齢者のおかげで自分は大きな歴史の流れに属する恵みを与えられているということに気づくよう期待しておられます。一人の老人との友情を通して若者は、人生を現在の視点だけから均質化するのをやめ、必ずしもすべてが己の能力次第なのではないのだと胸に刻むようになります。そして高齢者にとって一人の若者の存在は、自分たちの経験が失われずに、夢がかなえられるという希望をもたらすのです。つまりマリアのエリサベト訪問と、主のいつくしみは、世代を超えて受け継がれるという認識は、わたしたちは自分だけでは前に進めず、ましてや、自力で自分を救えたりはできないこと、私たちは、目に見えない大きな力に支えられているという謙虚さを失ってはいけないと仰っているのです。」

 みなさんもよく知っているマザーテレサが1981年に来日した際に、このようなメッセージを残しています。
 「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」

 65歳以上を高齢者とした際、日本では高齢者の割合が約3割にも上ります。多くの年老いた方々が孤独である社会が豊かであるはずがありません。昨年までとは違い、ある程度、人の往来が許されるようになりましたので、おじいさんやおばあさんに直接会うことができる状況になったはずです。みなさんそれぞれに忙しい夏休みを過ごすとは思いますが、今年のお盆は上手に時間を調整し、ぜひ、おじいさんやおばあさんとのひと時を大切にしてください。みなさんのおじいさんおばあさんは、まだまだ若くて元気な方が多いでしょうから、一緒に食事をしたり、お出かけしたり、お話ししたり、いろいろできるのではないでしょうか。みなさんからは、今打ち込んでいることを話してみてはどうでしょうか。何か壁にぶつかっている人は、素敵なヒントをもらうことができるかもしれません。遠く離れ、直接会うことが叶わない場合にも、何らかの方法で連絡を取ってみてはいかがでしょうか。「おじいさん、おばあさんがいて、お父さん、お母さんがいて、そして、私たちがいる。」当たり前のことですが、当たり前をどこかで大切にする心を守り、育てなければならないと感じます。最近は、この対極にある悲しいニュースがあまりにも多いと思いませんか。お年寄りが殺人事件に巻き込まれる、しかも身内による犯行というショッキングなニュースです。家族を大切にするということは、理屈ではありません。本能です。ちなみに教皇フランシスコもマザーテレサも、平和な世界を創り出すスタートは、平和な家庭を創ることだと語っておられます。

 みなさんの夏休みが、健康的で安らぎや心に染み入るような素敵な思い出に満たされることを心からお祈りします。8月18日に、ここで元気に再会しましょう。

6月の全校朝会 令和5年6月13日

 みなさん、おはようございます。
 みなさんの元気な挨拶のおかげで、毎日清々しい気持ちになります。さて、今日は私の話の後でクラブ表彰を行います。激戦を制し、全道大会や全国大会へと勝ち進んだ私たちの仲間を讃え、喜びを分かち合い、次なる戦いへ向け、力強いエールを送りたいと思います。
 高校の部活動では、大会で勝利した際、その栄誉を賞賛し、校歌を流すことがあります。あるいは、試合開始前に校歌を紹介する場合もあります。昨年秋のサッカー部の全校応援の際も厚別競技場に校歌が流れたことを思い出します。野球部の公式戦では、勝つたびに球場に校歌が流れ、掲揚される校旗を仰ぎ見ながら、光星魂が熱くなるのを感じます。 
 ところで、この3年間、コロナ禍で校歌を歌うことが制限されていましたので、みなさんの中には、校歌を憶えていないという人もいるかもしれません。今日は、まず札幌光星中学校高等学校の校歌をみなさんと一緒にじっくりと聞くことにしましょう。

 日出づる国の黎明    仰げ希望の光 清き姿
 おお光星 我等が母校
 人格至上の旗 高く掲げ  幌都の北に 栄えん永久に
 ああ光星 光星 我等が母校

 慈愛平和の学園   思え輝く使命 高き理想
 おお光星 我等が母校
 光栄勝利の桂 此処に繁り  教えの庭は緑ぞ永久に
 ああ光星 光星 我等が母校

 この歌詞には、どんなメッセージか込められているか分かりますか。
本校はカトリックミッションスクールですから、イエス・キリストの教えやメッセージが込められています。一番は、こんな感じでしょう。

 日の昇る国、日本の希望に満ちた夜明け、新しい時代をリードしていく生徒のキリリと引き締まった姿、これこそが光星、私たちの母校だ。 
人として正しく、最高の善を行うことを高らか掲げ、この札幌の地で永遠に輝き続けよう。これこそが光星、私たちの母校だ。

 二番は、こんな感じでしょう。

 私たちは慈しみをもってすべての人に接し、正義と平和に溢れる世の中を創るという崇高な使命をもつ。これこそが光星、私たちの母校だ。
この学園は、いつも神様から守られ、輝く勝利の冠をいただいている。この繁栄が永遠に続きますように。これこそが光星、私たちの母校だ。

 先月、吹奏楽部の第32回定期演奏会がkitaraホールで盛大に開催されました。私も素晴らしい演奏にすっかり魅了された聴衆の一人でしたが、その際に私の前に座っていらっしゃった60代後半の男性で吹奏楽部OBの方から、創部85周年記念誌をいただくことになり、ご丁寧に翌日、学校まで届けてくださいました。その中に、本校の校歌に関する記事がありましたので少し紹介します。
 最初の校歌は、開校の2年後、1936年昭和11年4月から歌われるようになったそうです。作詞は国語の佐藤光先生で、詩も書き、絵も描き、美術部顧問でもあり、学園寮の寮監もしていましたが、昭和18年に召集され、昭和19年に沖縄で戦死したそうです。一方、作曲は音楽の早坂文雄先生で、結核を患い昭和13年の春に退職しました。その後、作曲家としての才能が開花し、同じ年の秋にオーストリアのコンテストでワインガルトナー賞を受賞し、戦後は黒澤明監督と組み、「七人の侍」「羅生門」「近松物語」など数多くの映画音楽を世に送り出しました。早坂先生は昭和30年に肺水腫でお亡くなりになったそうです。
 現在の校歌は、1945年の11月末に、当時校長だった片岡先生が東京の出張から3か月ぶりに戻り、先生方を集め「時代も変わったし、経営もマリア会に移ったことだし、校歌を変えたらどうか。ちょうど姉妹校暁星が新校歌を募集した中の一つがいい」と持ちかけ、居合わせた先生方が「アアでもない、コウでもない」と作詞を光星に合うように代えた。だからこの校歌には肝心の作詞作曲の氏名欄が空白であると記されていました。ところが、みなさんの生徒手帳にも正面の校歌のプレートにも、作詞・相馬淳、作曲・東京音楽学校とあり、吹奏楽部の記念誌では、このことを校歌のミステリーと記しています。ちなみに姉妹校の暁星が募集し、札幌光星の現在の校歌の元となったものは、実際は暁星高校で昭和11年まで歌われていた校歌で、作詞は暁星高校OBの相馬巧氏。そして作曲は暁星小学校の音楽の大岡先生で、大岡先生は東京音楽学校を首席で卒業したとの記録が残っています。
 誕生の経緯はともかく、現在の校歌は1946年から77年間、歌い継がれてきました。そして校歌のメッセージは先ほど紹介した通りです。

 ここで「使徒パウロのテモテへの手紙(一)」の6章17~21節を紹介します。みなさんがもっている新約聖書の390ページです。

「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます。恵みがあなたがたと共にあるように。」

 私は、この聖書の箇所で、「善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」の部分が心に響きます。私たちは弱い存在ですから、誘惑に打ち勝つことが求められているのに、時に負け、自分が嫌になり、心が折れることもしばしばです。しかし、人として正しく生きる道を見失わないこと。慈しみをもって人と接し、正義と平和に溢れる世の中を創るため、心から善い行いを行うこと。そういった生き方を追求することが大切なことだと感じます。私たちの校歌には、正義に生き、真心を惜しみなく与え、素晴らしい世界をつくるエネルギーに満ち溢れる理想高き仲間が集う学園をいつも神様が見守っているというメッセージが込められています。この先、校歌を歌うたびに、みなさんが札幌光星に誇りを感じてもらえたらうれしいです。

令和5年度 始業式(2023年4月10日)

 みなさん、おはようございます。
 本日より令和5年度の学校生活がスタートいたします。一昨日の中学校入学式で101名、高校入学式で372名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。先輩、先生、その他たくさんの学園で働く方々は、心より皆さんのことを歓迎します。まだまだ馴れない新生活で不安に感じることも多いと思いますが、私たち光星ファミリーは、みなさんのことを全力でサポートします。ぜひ、頼りにしてください。
 今朝も校門の前で皆さんと元気な挨拶を交わすことができました。今日一日を活き活きと生活するためのパワーを受け取ることができました。今年度もこの学園に関わるすべての方々が、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。そんな信頼と安心の場を今年度もみなさんと一緒に作っていきたいと思います。
 先月の終業式の際にも先輩たちの大学合格実績について紹介しました。その後も吉報は続き、国公立大学合格は150名(うち現役124名)、京都大学をはじめ、大阪大学、一橋大学、東京工業大学、東北大学そして北海道大学などの難関を突破してくれました。私立大学にも早慶上理22名、MARCH(明治、青山学院、中央、立教、法政)38名の実績を残しました。3月に卒業した先輩たちは、293名と例年に比べ、在籍数の少ない学年でしたが、国公立クラスに在籍した先輩のうち、54%の先輩が現役で国公立大学合格を果たしました。最後まで粘り強くチャレンジした先輩たちは、本当に立派でした。振り返るとコロナの始まりからコロナの終わりまでの高校3年間だった先輩たちでしたが、与えられた環境に心から感謝し、仲間との連帯を大切にし、自分たちのベストを尽くし、大きな背中で後輩のみなさんを力強くけん引してくれた先輩たちでもありました。こういった先輩たちの姿勢こそが、本校の校訓である「地の塩 世の光」の意味するところです。自らの才能に気付き、その才能を磨き上げ、あなたの才能を必要とする人のために惜しみなくあたえ、平和な社会を作るための一員となるという「光星プライド」を、是非みなさんも引き継いでください。
 ところで、キリスト教の各教会では、昨日復活祭をお祝いしました。札幌光星中学校高等学校もカトリックミッションスクールですから、学校の年間行事予定を見ると、「聖木曜日」、「聖金曜日」、「聖土曜日」、そして「復活の主日」という記載があります。今年は春休み期間中でしたので、みなさんの多くは、あまり意識することはなかったかもしれませんが、復活祭は、十字架に架けられて亡くなったイエス・キリストが、3日後に復活したことを祝う日で、キリスト教徒にとってクリスマスとならぶ大切な行事です。復活祭のことを英語では「イースター」と言います。復活祭は毎年「春分の日から数えて最初の満月の次の日曜日」と決められており、今年は昨日でした。ちなみに来年は3月31日になります。キリスト教の信者が多い欧米の国々では、復活祭にはイースター・エッグと呼ばれるカラフルに装飾された卵やウサギの形をしたチョコレートなどを用意し、家族が揃ってパーティーを開き、お祝いをします。
 今年の復活祭を迎えるにあたり、ローマ教皇フランシスコは、先週水曜日の一般謁見で世界中の人々に向けてこのようなお話をされました。

 イエスは十字架につけられ、町の外の処刑地で、残酷で屈辱的な方法で殺されました。それは誰の目にも明らかな敗北、これ以上はあり得ない最悪の結末でした。見せつけられてしまった弟子たちの失望は、今日の私たちにも無縁ではありません。私たちの心にも暗い考えや挫折感が立ち込めることがあります。なぜ人々はこれほどまでに神に無関心なのでしょうか。なぜ世界には多くの悪がはびこっているのでしょうか。なぜ不平等は広がり続け、熱望される平和は訪れないのでしょうか。
 マタイによる福音書 第27章35節に「彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合った」とあるように、イエスは、死の間際にすべてをはぎ取られました。すべてを持っておられるはずの神の子が、何もかもを取られるがままになってしまいました。しかし、その辱めは、贖いへの道だったのです。
 真理を明らかにするために裸となることは、私たちには難しいことです。私たちは見せかけのもので装い、仮面をつけ、本来の自分より良く見せようとします。しかし、見せかけのものから、私たちが真の平和を得ることはありません。すべてをはぎ取られたイエスの姿は、自分についての真実をはっきりさせ、二面性を取り去り、見せかけの自分との慣れ切った共存から解放されることによって、真の希望が再び生まれることを、私たちに気付かせてくれます。必要なのは、希望の代替にすぎない多くの無用なもの、見せかけものを脱ぎ捨て、自分の心に、本質に、簡素でシンプルな生活やものの考え方に、立ち返ることです。
 人生の傷は、大きいか小さいかの問題ではありません。その傷をどう扱うかが問題なのです。その傷が怒りや悲しみの中で広がるがままにしておくのか、それとも、それを十字架上のイエスの傷と合わせることで、あるがままの自分をさらけ出し、傷は必ず癒されるということを信じて身を任せるのか。自分の傷だけを思い泣くのではなく、他者の涙をぬぐってあげる時、自分のための愛に渇くのではなく、わたしたちを必要とする人の渇きをいやしてあげる時、わたしたちの傷は希望の源となることもあるでしょう。なぜなら、自分のことだけを考えるのをやめた時にこそ、自分を取り戻すことができるからです。

 1年生と4年生は、この学校での新生活が始まり、小学校や中学校の自分から新しい自分に挑戦するチャンスという点で、また、2、3、5、6年生にとっても進級し、クラスや担任の先生が変わり、新たな気持ちで新年度をスタートするという点で、4月になると一人ひとりにとって「復活の機会があたえられる」とも考えられます。もちろん、昨年度までの悩みを払拭しきれていない人もいるでしょう。慣れない環境に不安を抱えている人もいるでしょう。我々は変化に対して少なからずストレスを覚えますし、どちらかというと環境の変化を望まない傾向にあるのも確かです。しかし、変化は成長のチャンスでもあり、また、この先の長い人生をイメージした際に、変化に強い自分を徐々に作ることも大切な作業のはずです。自分自身の生き様や魂といったものが、簡単に揺らぐことのないよう、偽りの自分や取り繕いの自分を脱ぎ捨て、あるがままの自分、真実の自分を新しい環境に委ねてみませんか。一人ひとりに与えられた課題に対し、堅実に冷静に取り組んでいきませんか。光星での学びを通し、ぶれない、骨太の自分作りをしてください。もちろん、そのために必要な忍耐もあるでしょう。しかしそれを支える温かな何かが、札幌光星には溢れています。仲間を、先生を、そして、光星ファミリーを信頼し、皆さんのベストを尽くしてください。新年度を始めるにあたり、皆さんへの心からのエールを込め、私からの挨拶とします。

令和5年度 高校入学式 式辞(2023年4月8日)

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この先の自らの学びへの強い意志をもち、この場に臨まれた6カ年コース83名、マリスコース268名、ステラコース21名、合計372名のみなさん、今お名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。本日ご来賓のPTA会長駒木宏光様とともに、この良き日を心よりお祝い申し上げます。また、これまでみなさんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 本校は1934年の創立から数え、今年の11月で89年の歴史を迎え、皆さんは89期生となります。本校は、これまでに3万名を超える多くの優秀な人財を輩出してきました。本校の歴史は、まさしく先輩方が築き上げた財産の積み重ねによるものです。皆さんも歴史と伝統ある札幌光星高校の生徒として、その名に恥じぬよう、責任と自覚をもって行動してほしいと思います。
 3年以上にわたる新型コロナウイルス感染症によるパンデミックからようやく解放され、今日もこうしてマスクなしで、また保護者の皆様の入場制限もなく、晴れの日を迎えられることに大きな喜びを感じながら、入学式を行っています。もちろん、みなさんの中学校生活3年間がちょうどコロナの始まりから、その終わりまで続いたという事実を簡単に忘れ去ることは出来ません。学校祭や修学旅行をはじめとした行事、仲間とともに切磋琢磨した部活動など、様々な貴重な青春の場面を十分に全うできず、多くの困難を強いられてきたことでしょう。この3年の損失は簡単には埋められません。しかし、過ぎ去ってしまったことを悔いている時間が私たちにはありませんし、それでも前を向いて歩き続けなければならないのであれば、自分の身に起こったこと、降りかかったことを糧にし、すべては自分の成長のために用意されていたものであったのだと咀嚼し、体の隅々まで未来を生き抜くためのエネルギーとして送り込む、そんな「たくましく、しなやかに」生き抜く気概を、みなさんには持ってほしいです。
 先日、4年前に本校を卒業した方から、大学卒業の報告のお手紙を受け取りました。ここで、その一部を紹介します。

 駒井先生

 久しくご無沙汰を致しております。
 先生もお変わりなくお元気でしょうか。
 おかげさまでこの度、大学を卒業致しました。
 駒井先生には大学の進路の際大変お世話になり、感謝しております。
 大学での4年間では沢山の経験をすることができ、多くの学びがありました。
 あの時、大学進学を選択して本当に良かったと思っています。ご助力下さり、ありがとうございました。
 また、大学在学中も先生のもとで過ごした高校時代を思い出し、高校時代の経験がいつも私の中で大きな軸となっていました。
 社会人になっても挑戦心と感謝の気持ちを忘れず、日々努めて参りたいと思います。
 卒業後は就職し、ゴルフも大会に出たりしながら続けていきます。
 北海道はまだ寒い時期が続き、先生もお忙しい日々をお過ごしのことかと存じますが、どうかお身体に気をつけて下さい。

 今紹介した卒業生にとっても、大志を抱いて進学した東京での学生生活が、コロナによってイメージ通りにはいかず、オンライン講義に置き換えられたり、またプロゴルファーを目指して限界まで挑戦しようとしていた様々な計画もことごとく崩れるなど、たくさんの我慢を強いられたことでしょう。それでもこうして、社会人としての門出に際し、しっかりと支えてくれた方々への感謝を伝えられる大人に成長した態度に、そしてこの方に札幌光星での学びが深く根付いていることに、私は、感動し、大きな充実感に満たされ、心からこの方の門出を祝福しました。
 自分の身に降りかかった出来事、そのことを「運命」というのかもしれませんが、私たちは、未来を予知できない以上、どこかで自分の「運命」を受け入れなければなりません。この卒業生も、もちろん、みなさんも、みなさんのお父さんやお母さんも、そして私も世界中の人々も、みんなコロナを受け入れるしかありませんでした。程度の差こそあれ、みんなコロナに人生を狂わされました。しかし、予想だにしなかったからこそ見ることができた景色もありましたし、感じることができた情動もありました。そしてもしもコロナがなかったら、自分自身や他人の人生について、こんなにも真剣に考えたかどうかわからなかったとも思います。経験から学び、よりよく歩む方法を創造する姿勢が大切です。仮にコロナのせいで人生が滅茶苦茶にされたとしても、それでも前に向かって歩かなければならない私たちは、コロナを通し、何があっても何ができるのかを探求する姿勢を持ち、勇気をもって未来を切り開く、「たくましく、しなやかに」生き抜く術を身に着けていかなければなりません。
 みなさんの中には、15の春がイメージ通りにいかなかった方もいると思います。しかし、私たちは、前を向き、歩いていくことしかできません。今日からは、運命を受け入れ、いかなる運命にも意味があるはずであると洞察し、運命が自分を成長させてくれることに感謝できる人になれるよう札幌光星でベストを尽くしてください。心を開き、本校での学びを通し、自分自身の夢や目標を見定め、その実現のために多くのチャレンジをしてください。この学校には、お互いを大切に思う仲間がたくさんいますし、いつも明るく挨拶を交わし、優しい心で支え合い、成功を願い、応援し合う雰囲気があふれています。安心して学校生活を送ることができる日々を支えてくれるたくさんの先生方、先輩、そして、今日、共に新生活を始める372名の仲間がいます。みなさんは3年後に札幌光星ファミリーであったことを誇りに思い、希望の進路へと羽ばたいていくことでしょう。あたえられた環境の中でベストを尽くし、弛まぬ努力を続け、自分にあたえられた才能を丁寧に磨き上げ、多くの人の助けとなる人間になってください。これこそ本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という聖書の教えの通り、自分自身の優位性をひけらかすことなく、自分の持てる力や才能を、それを必要とするすべての方に惜しむことなく差し出すこと、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くし、社会に貢献できる大人へと成長しなさいということです。札幌光星は、常にそのような姿勢をみなさんに求めます。本校での学びを通し、そのように生きることの尊さを知り、弛まぬ努力を続けられる姿勢を身に着けてください。他者との関わりによってしか、自分の幸福の実現に至る道が開かれないことを知り、他者のために尽くすことを歓びとする人になってください。札幌光星は、みなさんがその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これから3年間の御支援と御協力をお願いいたします。
 新入生のみなさん、これからの3年間、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。みなさんが3年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。

令和5年度 中学校入学式 式辞(2023年4月8日)

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた101名のみなさん、今、名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星中学校への御入学、誠におめでとうございます。皆さんの入学を心より歓迎いたします。本日ご来賓の父母の会会長伊藤隆人様とともに、この良き日をお祝い申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 みなさんは、1月10日に行われた本校の入学試験に、たくさんの時間と努力で挑戦し、優秀な成績をおさめて合格しました。何度も話しましたが、札幌光星中学校は、受験をすれば誰でも合格するような学校ではありません。しっかりと合格へ向けて努力し、実力をつけた受験生だけが合格を勝ち取る学校です。自信をもって、堂々と新生活を始めてください。そして何より大切なことは、元気であることです。毎日を明るく楽しく過ごすことです。心と体を鍛え、勉学に思う存分に励んでください。そして、新たな友人と出会い、友情を深め、様々な可能性に目をむけ、力いっぱい活躍してください。札幌光星の先生方は、皆さんの成長のために必要なサポートをしっかりと行うことをお約束します。
 新入生のみなさんは、札幌光星での新生活の中で、特に何を楽しみに入学したでしょうか。教科書を使わない光星独自の探求的学びであるルクスプログラムでしょうか。フレンドシップミーティングやサマースクールなどの宿泊行事でしょうか。運動系や文化系の中から自分が興味のある活動に取り組むことができるサークル活動でしょうか。学校祭やスポーツデイ、遠足や芸術文化発表会などの行事でしょうか。それともたくさんの英語体験や異文化交流ができるイングリッシュキャンプや海外研修旅行でしょうか。すべて楽しみにしていて大丈夫です。新年度になり、わが国もこの3年間に渡るコロナ禍による制約の日々から一区切りをつけ、ようやく以前のように学校での活動を行っていくことができるようになりました。もちろんすべてがコロナ以前に戻るということではありません。例えば、マスクの着用も個人の判断になりますので、これからは、つける人とつけない人が混在するような街の様子になっていくのでしょう。それでも、出来なかったことが少しずつ出来るようになることに大きな喜びを感じながら、与えられた環境で一人ひとりがベストを尽くしてほしいと思います。
 札幌光星中学校では、先月初めに日本よりも一足先にアフターコロナに舵を切ったオーストラリアに3年生全員で8日間の研修旅行に行ってきました。本来の計画では、イギリスやイタリアへの研修旅行を予定していましたが、もう1年以上続いているウクライナでの悲劇の影響があり、行き先を安全に渡航することができるオーストラリアに変更しました。海外への研修旅行が4年ぶりでしたので、1年前の準備からいくつも不安なことがありましたが、終わってみると全員がすべての行程を元気にこなし、貴重な経験をたくさんして帰国することができました。赤道に近いケアンズという街では、日本では見ることができない熱帯雨林、そして夕暮れ時のスコール、世界最大のサンゴ礁エリアのグレートバリアリーフの環境保全への取り組み、先住民族アボリジニーの伝統や文化の保護などについて体験してきました。オーストラリア最大の街シドニーでは、多民族国家の中で活躍する日本人女性弁護士の方のお話を聞いたり、現地大学生との半日以上にわたるオールイングリッシュでのグループ自主研修で街中を散策したり、さらには観光資源と環境保全のためにビーチクリーニングにもチャレンジしました。真夏のオーストラリアは、連日30度を超え、札幌との気温差にも驚かされましたが、陽気で親切なオージーの方々の心温まるサポートに支えられ、みなさんの先輩の多くが、世界へと羽ばたくことの素晴らしさを実感しました。
 これは単なる海外旅行なのではありません。中学校での3年間のすべての学びが、凝縮し、渡航先での体験に深い味つけをし、心に刻まれる得難い経験へと導いていくのです。一つひとつの学びが連動し、大きな財産を築く支えとなることを、みなさんは、今日この瞬間から意識し、日々の学校生活を大切に送ってください。そして、そのような日々の努力は、その先の大学進学という大きな目標に向かってチャレンジする力を着実に備えていくのです。この春に卒業したみなさんの先輩方も、6年間を通し、少しずつ札幌光星の生徒としてのプライドを身に着け、自らが希求する将来をしっかりとイメージし、夢を叶えるに相応しい進路へと向かうため、勇気をもってチャレンジしました。そして京都大学、大阪大学、一橋大学、東京工業大学、北海道大学などの難関大学に現役での合格を果たしました。ただ、誤解してほしくないことがあります。それは、努力をし、目標である大学に合格することは素晴らしいことなのですが、それ以上に大切なことや見失ってはいけないことがあるということです。長い人生を歩んでいく上で、人として大切なことが何かを「知ること」、そして大切なことのためにブレることなく「行動すること」、さらには大切なことへの自分の解釈が間違っていないかを誠実に周囲の人から「聞くこと」や「アドバイスとして受け取ること」なのです。あなたの人生は、あなただけのものではありません。あなたとあなたと関わる世界中の方々の幸せのためにあなたの人生が大切に豊かに扱われなければなりません。一つ一つステップを踏んで、多くの人の幸せのために働ける人になってください。
 本日入学されたみなさんには、本校での6年間の中で、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との関わりによってしか実現されず、その関わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校は、生徒がその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解、御協力をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、まだ12歳のお子様を遠くの学校に通わせること、あるいは親元から離し、寮生活をスタートさせること、何かと御心配なことも多いかと思います。担任副担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。本校は「学校は楽しいところ」をモットーとしております。どうぞ安心してお子様を送り出してください。多くの仲間との関わりの中で、人間味豊かに成長していく姿を毎日楽しみに送り出してください。これから6年間の御支援と御協力を重ねてお願いいたします。
 新入生のみなさん。みなさんが6年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しております。

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